しばりのメモ帳

30代主婦が、書き残したいと思ったことを、ジャンル問わず書いています。

あれから、一年

北海道胆振地方の地震から今日で1年が経過しました。

北海道は私の故郷です。今も両親は北海道に住んでいます。

そして1年前の今日、私は北海道にいました。震源であった胆振地方とは遠く離れた場所でありましたが、夜中、揺れを感じて起きました。

わたしがいた場所は、震度3あったかどうか、くらいだったので、その時はあまり深刻に受け止めず、またすぐに眠りましたが、朝起きて変に気づきました。

 

電気もテレビもつかない、外を見ると、信号も付いていない。完全な異常事態でした。

停電後すぐは、携帯電話は使えたので、胆振地方で大きな地震があったこと、それにより火力発電所が影響を受け北海道全域が停電になっていることを知ることができました。でもテレビが見られなかったので、被災地の現場がどうなっているか、被害の規模はどの程度なのか、停電の復旧見込みは立っているのか、全くわかりませんでした。

 

幸い、わたしの家族は、停電していること以外は、特段被害はなかったので、ひとまず食料や水を確保しました。夜は、懐中電灯とランタンをつけて過ごしました。

街灯も全くつかない暗闇は、家の中なのに、まるで山奥でキャンプをしているみたいでした。星がとてもきれいで、救われた気持ちになりました。

 

初日はまだ良かったのですが、次の日からは携帯電話が徐々に使えなくなりました。携帯の基地局の非常電源も、24時間を超えて、維持できなくなったためだと思います。

給湯器の稼働にも電気が必要なので、お湯が出ないことも辛かったです。幸いガスは使えたので、少量なら沸かせばよかったのですが、お風呂に入ることができませんでした。

わたしのいた地域は、電気の復旧がかなり遅い方で、丸2日、電気のない状態で過ごしました。

このとき、天気が良くて、かつ寒くも、暑すぎもしない時期であったことは、本当に不幸中の幸いでした。冬の北海道で同じことが起こったら、と考えると、ゾッとします。

 

電気・情報(携帯の電波)が断たれることの影響を身をもって知り、改めて災害の恐ろしさを感じました。地震による直接的な被害がなくてもこれなのに、まさに胆振地方の被災地にいた方々の不安と混乱はどれほどのものだったのか。想像しかできませんが、それは、とてもとても怖いことだと、痛感しました。

東日本大震災のときは東京で一人暮らしで、地震の揺れはそのときの方がよほど大きかったのですが、「被災すること」の恐怖と苦労は、この北海道での経験の方が強く認識できました。

 

信号が付いていない中で譲り合いながら車を運転したことも、溶けていく冷凍食品をせっせと食べたことも、東京にいる友達がたくさん心配してくれたことも、北海道の仲間同士で情報交換して助け合ったことも、もうひとつの思い出になりつつありますが、このときの恐怖も感動も、どっちも忘れないように。

また来年も、この日は、ちゃんと思い出そう。

 

北海道胆振東部地震の被害に遭われた方のご冥福を心よりお祈りいたします。